2012年05月15日

辛抱が足りないと自覚する時

近所のセブンイレブンで宅急便を送ろうと、いつもより少し早く家を出る。
伝票に書き込んで、処理してもらうまで、まぁ5分もあれば足りるだろう、と踏んでいたのだが、
まずいことにレジに待ち構えていたのは、ピカピカの1年生。
画像データのCD-R1枚のケースが入った封筒を
ごていねいにタテヨコ専用のメジャーできっちり計り、
目の高さまで持ち上げて厚みを確認し、指で押さえて(封筒の先っぽは厚みがないので)
メジャーでは厚さを測れない、とようやく断念。
カウンター下からはかりを取り出し、小さな封筒を載せて、「サイズ60」「2キロ以下」に丸をつける。

ここらへんで堪忍袋の緒が切れそうになる。
時計を見てため息が出る。
これはもう予定の電車には乗れそうにない。

しかし、パッと見れば最小の荷物であることくらい判断がつくではないか。
「200グラム以下」という項目があるなら重さをはかりたくなるかもしれないが、
2キロあるかどうかくらい瞬時にわかれよ! と心の中で叫ぶ。

最後にだめ押しで、4枚重なっている伝票すべてを一枚ずつめくり、
きちんと転写されているかどうか確認。
「640円いただきます(笑顔)」

首を絞めてやりたくなる時、ってありませんか。
私だけですか。
私の辛抱が足りないだけですか。

 

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2012年04月25日

心意気ってもんだ

駅から家までほぼ20分の道のり。
表のバス通りと平行する裏道の小さな商店街には、ふつうの家も混じってて
その中にガレージを開けたままにしている家が1軒。
見れば、車の前にござが敷いてあって、その上に鳥が落とした糞が飛び散っている。
あぁ、つばめの巣があるんだ!
真っ赤な車のボンネットすれすれのところだけど、
高級車の汚れを気にしてカバーをするでもなく、
シャッターも開け放しでエライなぁ。

ありがとう、アルファロメオ(の持ち主)。
思わずニッコリしてしまったのでした。
タグ:つばめ
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2012年04月21日

ドラマなのだった

夜10時過ぎの山手線内で。
上野から高田馬場に向かう途中、おもむろに左隣の女性がケータイを取り出し、
「今、気づいたんだけど、逆回りに乗ってるみたいなんだよね」
もう待ち合わせ時間にはとうてい着きそうにないし、どうしたらいいかわかんないし、
夜も遅いから今日はもう待ってなくていいから。別の日にしよう。
女友達らしき電話の相手に一方的に話して彼女はケータイを切った。
ま、それは緊急事態なのでしょーがない。と、車中の誰もが思ったに違いない。
ところがその数分後、またまたケータイを取り出し、皆に聞こえるようなはっきりとした声で恋愛のもつれ話を相談し始めたから、いい加減にしろよオマエ、と一瞬思ったわけだ。
聞くとはなしに聞いていると(だって聞こえてしまうからね)
どうも、彼氏を仲のいい(と思っていた)友達に乗っ取られたようで、
それも、周囲がなんとなく知ってた中で彼女自身はぜんぜん気づかなくて、
友達に裏切られたことにも腹が立つし
自分がないがしろにされたことにも腹が立つし、
まわりも何も言ってくれなかったことにも腹が立つし、
情けなくてもうもうアタシはどーすりゃいいのよ! アタシって必要ないんだね!
てな感じでどんどんヒートアップして、早口になって、
そのうち泣き出してしまった彼女。
洟をすすりながらハンカチで目をおさえながら
巣鴨あたりから高田馬場まで延々、リアルなドラマは続いたのであった。

ふー。
彼女はもう家に着いただろうか?



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2012年04月01日

まったく医者ってのは

この間、花粉症の目と鼻とのどと耳の奥のかゆみに耐えかねて
死にそうに忙しい中、しょうがなく医者に行った。
午前中に滑り込みセーフで受付に駆け込んだら、誰もいなくてラッキー!

そしたら、いつもの院長先生がいなくて
やけに馴れ馴れしい感じの50代とおぼしき男性医師が「今日はどうしたのかな?」と。
いやー、目と鼻とのどと耳と全部かゆくて、夜中に目が覚めちゃうんです。
そう言うと、「今流行の薬」で「僕もお気に入りのヤツ」を勧めてくれて、
カルテに書き込みながら表紙の情報を見て、
「えーと、今いくつだっけ? ……あぁ、昭和40年ね」
その後がいけない。目も上げずに、鼻歌歌うように、
「そのお年なら、自然妊娠はないね」
一瞬、なんて言われたのかわからず、思わず「はい」と答えてしまったマヌケな私。
失礼な! なんで46歳で妊娠がないと決めつけるんじゃ!
そんなのわかんないじゃないねぇ。
60、70だったらニッコリ笑って「いや、してるかもしれませんよ」と言えたかもしれんが
人によっては必死で挑んでいるかもしれない歳じゃないさ。
私はとっくにあきらめているし、望んでもいないからいいけどさ。

だいたい、医者ってのはなんてこう無神経なヤツが多いんだろう。
言葉づかいもなってないし。
自分がエライとでも思っているのか!
まずは初対面の相手に対してのごくふつうの礼儀として、敬語を使うことから始めよ、と言いたい。

しかし、言われたことにすぐに反応できない自分が情けない……。
ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかった、と
家までの3分間、ぷんぷん怒りながらずんずん歩き、
ますますハイになって怒りもむくむく大きくなるのでした。

あぁ疲れているんだわ。
早く原稿を上げよう。さっさと書けばいいんだよなぁ。









タグ:花粉症
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2012年02月08日

sumioさんとの最後の会話

sumioさんが亡くなったのは年明けすぐの3日でした。
大晦日に、看護で疲れているyoukoさんの手伝いも兼ねて、
賑やかしにおせちづくりに実家に帰った時は、まだまだ元気で
居間でお気に入りのニニ・ロッソのCDをセットしながら「おう、来たか」と
振り返った姿を思い出します。

きんとん用のサツマイモを裏ごししたり、
数の子の薄皮をむいたり、するめいかを細切りにしたり
鼻歌を歌いながら作業する私の横で、
sumioさんは布団にもぐってニニ・ロッソを聴いていました。
足元にはゴンタが丸くなってて。

夕方、昆布巻きを巻き上げる頃には起きてきて、
「かんぴょうがゆるまないようにしろ」とかあれこれ口出ししたりして
翌日おせちを食べるのをとても楽しみにしていたのでした。
「またお腹こわすから、1つだけよ」とyoukoさんが言うと
「いや、2つは食べる」と宣言。
煮上がった時に味見をさせてあげればよかったね。

あの日は、無事に年を越せる喜びもあって、体調もよく、食欲もあって
私が正月気分を盛り上げようとはしゃいでいたせいか、
ちょっと張り切りすぎたのかもしれないね。
すき焼き風に牛肉とネギと白滝を煮込んだ鍋をつついて
添えた溶き卵もぺろりと飲んじゃって、ご飯も一口食べられた。
「今日はうまい!」とごきげんで、食後にミカンも食べた。

夜、「紅白歌合戦はもううるさいショーになってしまったから見たくない」というので
昭和の懐メロを往年の歌手が歌っていたチャンネルに合わせると
昭和33年のナントカって曲が流れてきて、
「あぁ、これはお父さんが大阪の工場で働いていた頃に聴いた」と。

「なんの工場だったの?」と私。
「話してなかったか? 電線工場だよ。2交代制で働いてたんだ」
sumioさんは徳島大学で電気工学を学び、卒業後すぐに東京のテレビ局に入ったとばかり
思っていたので、はじめて聞く話でした。
「電線の外側に巻く細いコイルなんかをつくっていたんだ。
 その品質管理を任されてね、JIS規格を取ろう、ってことになって、
 お父さんは、米軍の電気通信機器の資料を参考にして、同じ精度を出せるよう何度も検査を繰り返して
 まる1年でJIS規格を取得したんだよ。
 当時は大企業ならともかく、町工場でJIS規格を取得するなんて夢のようなことだったから、
 社長が大喜びしてた」
「大学卒業して、その工場に一生勤めようと思って就職したの?」
「行きたいと思って行ったわけじゃない。
 あの頃は、戦後の就職難だったから、大学に来た求人の中から
 1人2社ずつしか受けられなかったんだよ」
「その後で東京に来ることになったんだ」
「そう。大阪には2年くらいいたかな」

人生はほんの些細なことで方向を変えていく。
もし、sumioさんがそのまま大阪の電線工場に勤めていたら
youkoさんと出会うこともなく、私も生まれなかった。

「その前にだって、分岐点はあったんだ。
 徳島大で電気をやるか、広島大で建築をやるか、
 入学手続きの期限ぎりぎりまで迷っていた時に、
 T兄に相談の手紙を書いたんだよ。
 その返事が郵便の事情で届かなかったから、
 自分がやりたかった電気に進んだ。
 でも、後から聞いたら、Tは『広島で建築をやれ』ってハガキを出したらしい。
 徳島よりも広島大の方がメジャーで、卒業後の人脈もつくりやすいから、って」
「いやー、ほんとに小さなことで人生は決まるんだな」

この間、五木寛之がテレビで言ってた。
人生は思うようにいくことばかりじゃない。それは誰のせいでもない。
うまくいかない時には「いい風が吹かなかっただけだ」と思えばいいし、
逆に何かとてもうまくいったら「たまたまいい風が吹いただけだ」と
天狗にならないようにしなくちゃいけない、と。

「そうだな。そういうこともあるな。
 でも、風任せでもいいけれど、その時々の分岐点で
 何を選ぶかは自分なんだから、
 最後まで責任を持って生きなくちゃいけない」

その後、会話は五木寛之の宗教観から、大乗仏教とか他力本願の話に展開していき、
「こういう話がおまえとできるんだったら、あの本をあげよう」と
仏教の教えをエッセイ風にまとめた、ある人の本を渡されたのでした。
「退職した時に買って、半分くらいは読んだんだけど、後は読めなかった」と言うので
(sumioさんは目が不自由なので)
「じゃ、私が録音してあげようか?」
そう言うと、「それはいいな!」と乗り気になって
CDに落とし込めるレコーダーは持ってるか、なければお父さんが金を出すから
仕事でも使えるような、いいヤツを買っておけ、と言い、
その場でネットで調べて「これにしようと思う」と私がメモを渡すと
天眼鏡でなめるようにしてメモを見て、メーカーと品番まで確認してた。

つまり、そのくらい頭ははっきりしてて、
すべて自分で理解してないと気が済まない、いつも通りのsumioさんだったわけです。

「ゆく年くる年、見る?」と聞くと
「いいよ。ゆく年はさっさと行ってくれ!」と布団の中から言い、「もう寝る」と。

私は、あの時、大切な最後のsumioさんとの時間を持てて本当によかった。
(独り占めしてしまったことについては母と兄に申し訳ない気持ちもあるけれど)
あの会話が最後の、sumioさんらしい、ちゃんとした会話だった。
そして、その時の顔が今も目の前に浮かぶのです。
生き生きとした目をして。

お父さん、あれからすぐに本の朗読を始めていたんだよ。
正月の2日は朝から晩までずっと録音してた。
3日に電話をもらった時も、枕元で読んであげようと思って
本とレコーダー、持って行ってたんだよ。

続きは自分のために読めばいいよね。
たぶん、sumioさんはそう思って「録音してくれ」って言ったんだよね。
昔、中学生の私に「お父さんに新聞を読んでくれ」って頼んだように。






 

 










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posted by miwatarou at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする